デヴィ夫人の娘カリナの経歴|父親や旦那は?孫キランがイケメンすぎ

インドネシア・スカルノ元大統領夫人であるデヴィ夫人には、1人娘のカリナさんがいます。

カリナさんは大金持ちの旦那さんと結婚し、息子を1人出産しています。
デヴィ夫人の孫のキランくんがイケメンすぎると話題になっています。

今回は、デヴィ夫人の娘・カリナさんの経歴をまとめました。

デヴィ夫人の娘カリナの経歴・プロフィール

デヴィ夫人の娘カリナのプロフィール

  • 名前:カリナ
  • 正式名:Kartika Sari Dewi Soekarno. Kartika Sari
  • 生年月日:1967年3月11日
  • 年齢:53歳(2020年3月現在)
  • 出身:東京生まれ・フランス育ち

デヴィ夫人は1962年に、スカルノ大統領の第3夫人として結婚しました。
結婚後、デヴィ夫人は母や弟を立て続けに亡くし、1965年にはスカルノ大統領が失脚しました。

そしてインドネシアから東京に戻り、1967年に都内の病院で娘のカリナさんを出産しました。カリナさんは、スカルノ大統領の8番目の子どもです。

デヴィ夫人の娘カリナの経歴

  • パリで育ち、スイスの学校に進学
  • 東京でテレビレポーターとして就職
  • ニューヨークの広告代理店で勤務
  • 米国の財団で勤務
  • インドネシアでの子供の教育の発展を目的としたKSF(カルティカ・スカルノ財団)を設立
  • 2005年12月2日にフリッツフレデリクシーガースと結婚

カリナさんは誕生前、軍事クーデタが起こりスカルノ大統領が失脚したことにより、インドネシアに戻ることができなかったデヴィ夫人は、政治的に亡命者に寛容なフランスを亡命先に選びました。

それによってカリナさんは誕生後すぐにフランスに送られ、パリで育ちました。その後カリナさんは、スイスの学校へ進学しました。



高校卒業するとボストンにあるパイン・マナー女子大に進学し、マスコミュニケーションと国際関係を学びました。
卒業後は、デヴィ夫人と共に日本に戻り、民放で記者として約3年働きました。

その後デヴィ夫人と共にアメリカに渡り、カリナさんはニューヨークの広告代理店と、民間の財団にも勤務をしました。

財団での勤務経験を生かし、カリナさんは独自の財団、「カルティカスカルノ財団(KSF)」を設立しました。(財団の本部はオランダのアムステルダム)

この財団は、インドネシアの健康と教育の改善に従事しています。
1997〜98年のアジア通貨危機の影響で、経済が悪化し学校へ行けない子どもが増えたため、インドネシアの子どもたちを支援するために設立されました。

デヴィ夫人の娘カリナの父親は?

デヴィ夫人の娘カリナの父親は、インドネシアの元大統領スカルノです。

スカルノ大統領は、インドネシアの植民地時代から民族主義運動や独立運動において、大きな足跡を残した政治家でした。

インドネシア独立宣言後は、同国の初代大統領となり、雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞したと言われています。

カリナさんは、スカルノ大統領の8番目の子供です。

1965年にクーデーターによって失脚した後は不遇の晩年を送りましたが、現在も国民には「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)と呼ばれ、建国の父として敬意をもって愛され続けており、お金(最高額面の10万ルピア)の肖像となっています。

デヴィ夫人の娘カリナの旦那は?

デヴィ夫人の娘・カリナさんは、2005年11月26日にフレデリック・シーガスさんと結婚しました。

フレデリック・シーガスさんは、1959年生まれで61歳(2020年3月現在)。
アメリカの名門シカゴ大学を卒業した後、オランダ最古の工科大学であるデルフト大学でマスターを取得しました。

フレデリック・シーガスさんは、オランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOを務めていた、かなりの大金持ちのようです。

  • 1989年:シティバンク入社
  • 2001年:シティバンク、アジア太平洋最高責任者に就任
  • 2004年:シティバンク、欧州・中近東・アフリカの最高責任者に就任
  • 2006年:バークレーズ、最高責任者に就任

デヴィ夫人の娘・カリナさんと結婚する前に1度結婚しており、前妻との間には2人子供がいたようです。

フレデリック・シーガスさんは、デヴィ夫人の娘・カリナさんと結婚後、キランくんという男の子が1人誕生しています。

デヴィ夫人の孫キランがイケメンすぎ

デヴィ夫人の孫・キランくんがイケメンすぎると話題になっています。

  • 名前:キラン(Kiran)
  • 生年月日:2007年5月26日
  • 年齢:12歳(2020年3月現在)
  • 言語:英語・フランス語・オランダ語・日本語・ラテン語・インドネシア語

キラン君の名前である、「Kiran」はサンスクリット語で「光の輝き」という意味です。

キラン君は、父親であるフレデリック・シーガスさんの仕事の都合により、インドネシアとイギリスを行ったり来たりしている生活を送っているそうです。

現在は、6か国語を操る天才少年でもあります。

以前テレビ番組でキラン君の部屋が紹介されましたが、海外ドラマに出てくるような素敵すぎるお部屋です。

デヴィ夫人と娘カリナには不仲?

デヴィ夫人と娘のカリナさんの間には確執があり、不仲であったと言われています。

デヴィ夫人は、大切な一人娘であるカリナさんを溺愛していました。
そして娘のカリナさんを育てる上で、上流階級でも通用するような娘に育てたいと考えていたそうです。



上流階級でも通用するような教育を娘のカリナさんに与えるには、莫大な教育費がかかるため、デヴィ夫人はインドネシアへ戻り、亡くなったスカルノ元大統領の遺産を分けてもらおうと計画。

しかし、すぐには遺産をもらうことはできませんでした。
デヴィ夫人は、遺産が配分されるまでインドネシアに移住することを決意しました。

当時のインドネシアの治安は悪く、娘のカリナさんを住まわせるには危険だと判断したデヴィ夫人は、娘のカリナさんをパリに置いていきました。

デヴィ夫人の娘カリナさんはその頃11歳で、母親を一番必要とする時期でした。
後に、カリナさんはデヴィ夫人の親心を理解することができず、「デヴィ夫人に見捨てられた」と思っていたと明かしています。

娘カリナさんのためを思ったデヴィ夫人の行動が思わぬ誤解を生み、2人の間に確執ができてしまいました。

デヴィ夫人にとって、溺愛していた娘カリナさんと不仲だった時期はとても苦しいものだったようです。

その後、娘カリナさんが結婚と出産を経験したことによって、親子関係を修復するきっかけになりました。

ご自身も親になったことで、デヴィ夫人の親心がわかるようになったのかもしれませんね。

大変な生い立ちをした娘カリナさんですが、現在では旦那さんや息子さんに囲まれ、幸せに暮らしているようです。