『Nizi Project』で話題の、パク・ジニョンさん。
「餅ゴリ」という印象的なあだ名で親しまれていますが、TWICEをはじめとする人気アイドルグループの生みの親であり、ご自身も歌手として活躍をしてきたすごい人なんです。
そんな数々の成功をおさめてきたパクジニョンさんについて
- パクジニョンさんのお嫁さんは?
- 「餅ゴリ」ってあだ名の由来は?
- 日本語上手だけど親日家なの?
など、気になる疑問や、華麗な経歴についてまとめました!
JYPパク・ジニョン(餅ゴリ)のプロフィール

- 名前:パク・ジニョン(朴 軫永)
- 通称・あだ名:JYP、トッゴ(떡고=餅ゴリ)
- 生年月日:1972年1月13日
- 年齢:48歳(※2020年5月1日現在)
- 出身地: 大韓民国・ソウル特別市
- 学歴:延世大学校地質学科卒業
延世大学校大学院政治外交学科修士課程中退 - 趣味:バスケットボール、囲碁
- 職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー
- 担当楽器:ピアノ、キーボード
- 活動期間:1992年〜
- 事務所: JYPエンターテインメント
JYPパク・ジニョン(餅ゴリ)さんは、歌手としてデビューし、芸能活動を開始しました。
その後プロデュース活動を開始し、芸能事務所JYPエンターテイメントを創設しました。
韓国国内の活動に留まらず、米国進出を果たしたり、日本でもAIやSMAPのコラボをしたりと、韓国の音楽業界を牽引してきました。
日本でも大人気のTWICEの生みの親でもあります。
JYPパク・ジニョン(餅ゴリ)の経歴

- 1972年:韓国ソウル特別市に誕生
- 1979年:父親の転勤でニューヨークに渡る
- 1992年:グループ「パク・ジニョンと新世代」で歌手デビュー
- 1994年:ソロのR&B歌手として復帰
- 1997年:「テホン企画」(現JYPエンターテインメント)を設立
- 2003年:米国に進出
- 2007年:6年ぶりに歌手活動を再開
- 2008年:大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命される
- 2015年:韓国日本台湾混合ガールズグループTWICEをデビューさせる
JYPパク・ジニョン(餅ゴリ)の幼少期・学生時代

JYPパク・ジニョン(餅ゴリ)さんは、1972年に韓国ソウル特別市で生まれ増田。幼少期は好奇心が強く、勉強ができるお子さんでした。
またお姉さんがピアノを習っており、パク・ジニョンさんも一緒に習うようになりました。
小学1年生の時に、父親の転勤によって渡米しました。
2年余りニューヨークで生活をするなかで、マイケルジャクソンの存在を知り、ブラックミュージックの音楽にのめり込むようになりました。

パク・ジニョンさんが高校生の頃には、サザンオールスターズの桑田佳祐を中心にして結成されたロック・バンド「KUWATA BAND」のスキップビートを聴きアジア人でも黒人音楽ができると衝撃を受け、大学入学後に歌手になることを決意しました。
JYPパク・ジニョン(餅ゴリ)が歌手デビュー
パク・ジニョンさんは、1992年(当時21歳)の時に、「パク・ジニョンと新世代」というグループで歌手デビューしました。
が、「パク・ジニョンと新世代」は見事に売れませんでした。
その後、再デビューを目指し、オーディションを受け続けるも次々落選。
人気歌手キム・ゴンモのマネージャーに拾われて、バックダンサーを務めることになりました。
そんな中、作曲家キム・ヒョンソクと出会い、意気投合し、パク・ジニョンさんは、ヒョンソクの家に住み込みながら音楽理論を学ぶようになります。
パク・ジニョンさんは1994年にソロのR&B歌手として復帰し、今までにはなかったメディア戦略やセクシャルな衣装とダンスで注目を集め、一躍スターになりました。
JYPパク・ジニョン(餅ゴリ)が事務所設立
パク・ジニョンさんは、1997年に「テホン企画」(現JYPエンターテインメント)を設立し、本格的にプロデュース活動を開始しました。
1999年には、男性5人組アイドルグループ「god(ジーオーディー)」をプロデュースしました。
R&Bやヒップホップの曲に合わせ、家族愛をはじめとする庶民的な内容の歌詞が幅広い年齢層に受け、国民的グループと呼ばれるほどの人気を得ました。
その後、日本でも人気になったピ(Rain)やワンダーガールズを育て上げ、JYPエンターテインメントは韓国3大芸能事務所のひとつに成長しました。
2003年には、米国に進出を果たし、ウィル・スミスのプロデュースを手掛け、日本でも活動を展開してAIやSMAPとコラボしました。
2015年には、韓国日本台湾混合ガールズグループTWICEをデビューさせ、アジアで人気を博しました。
2020年には、第二のTWICEを生み出すべく、JYPとソニーミュージックがタッグを組み、日本やアメリカでグローバルオーディションを開催する「Nizi Project」が話題となっています。
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JYPパクジニョン(餅ゴリ)のあだ名の由来とは?

JYPパク・ジニョンさんは、餅ゴリと呼ばれていますが、あだ名の由来は、
- 餅が大好き
- ゴリラみたいな外見
とのことです。
悪口のようなあだ名ですが、JYPパク・ジニョンさん本人もお気に入りであるそうです。
韓国語では、「トッゴ(떡고)」というそうです。
JYPパクジニョン(餅ゴリ)の嫁や子供は?
パク・ジニョンさんの現在の嫁は、9歳年下の一般人で、2人の娘が誕生しています。
実は、パク・ジニョンさんは、バツ1で現在は2度目の結婚となります。
JYPパクジニョン(餅ゴリ)の元嫁

パク・ジニョンさんは、1人目の嫁はソユンジョンさんで、2人の間に子供はいません。
ソユンジョンさんは、フラワーショップの経営者です。
パク・ジニョンさんとソユンジョンさんは、大学時代に友人の紹介で知り合い、交際に発展。
当時、ソユンジョンさんはソウル女子大衣類学科でファッションを学んでいました。
その後パク・ジニョンさんの兵役を終えるの待って、1999年に結婚しました。
パク・ジニョンさんは、ソユンジョンさんが初恋の人であると明かしています。
しかし結婚から10年後、2009年に離婚をしました。
JYPエンターテインメントでは、以下の文章を発表。
「私は20歳のときに出会った初恋の人と16年という時間をともに暮らしました。私の人生でいちばん大切で美しかった時間をともにし、熱烈に愛しあいましたが、何年か前から2人の間が少しずつ遠くなり始めました。20歳のとき、私たちは確かに似ている点が本当に多かったと思いますが、16年という時間、私たちは少しずつ別の方向に進み、いつのまにか似ている点より違うの点の方が多くなったということ分かりました。何年もの間、悩み、さまよった末に結局別れることにしました。私を大事にしてくださる多くの方々の前で、またファンの皆さんの前でした約束を守ることができなくて申し訳ありません。仕事でも、個人としても良い姿をお見せしたかったのですが、足りない面が多かったと思います。悩みに迷みながらいつか良い姿で返したいと思います」
パク・ジニョンさんが米国進出を始めたことで、韓国に滞在する時間が少なくなり、事実業、別居状態になっていたとのこと。
2人の間に子供はいませんでしたが、慰謝料は3億円と月々の生活費200万円と、驚愕の金額で離婚を合意をしたとのことです。
JYPパクジニョン(餅ゴリ)の現在の嫁

パク・ジニョンさんは、2013年に9歳年下の一般女性と再婚し、2人の女の子が誕生しました。
パク・ジニョンさんは奥さんについて「ひとめぼれした」と明かし、奥さんもパク・ジニョンさんが理想のタイプであることを語りました。

パク・ジニョンさんの奥さんは、2014年「セウォル号沈没事故」に関係している噂が広がるようになります。
「セウォル号沈没事故」というのは、大型旅客船「セウォル(世越)」が転覆・沈没した事故で、死者299人・行方不明者5人を出した痛いましい事故です。
事故の調査結果によってフェリーを運営するの営利優先の姿勢や、安全軽視が明らかとなり、韓国国内で大きな問題となりました。
そして、フェリーを所有する清海鎮海運の実質オーナーであったユビョンオンは、彼の義父が興したキリスト系の新興宗教の牧師をしていましたが、事件後、逃亡の果てに遺体で発見されました。
パク・ジニョンさんの奥さんは、このオーナーであったユビョンオンの姪であることが発覚したことから、パク・ジニョンさんがユビョンオンが牧師を務めた宗教へ不法な資金流出をしているのではないかとの疑いが噂されました。
その噂に対して、パク・ジニョンさんは「姪であることは事実だが、不法資金が流入した事実はない」と発表しました。
パク・ジニョンさんの奥さんの間には、2人の娘がいます。
2019年1月に長女、2020年3月に次女が誕生しました。
▼2019年1月に長女誕生

▼2020年3月に次女誕生

JYPパクジニョン(餅ゴリ)は親日家?

パク・ジニョンさんは、親日家であると言われています。
パク・ジニョンさんは、幼い頃のアメリカ生活でブラックミュージックに魅了され、韓国に帰国後に、桑田佳祐が率いるKUWATABANDの曲を聴き、「アジア人でもこんなにいい曲が作れるんだ」と感動をしたそうです。
オーディション番組「虹のかけ橋」のなかで、パク・ジニョンさんは、韓国で日本の芸能文化を取り入れることが厳しく取り締まられていた時に、韓国の闇市で日本の音楽を手に入れて、聞いていたことを明かしています。
パク・ジニョンさんは小室哲哉さんを尊敬しているそうで、雑誌『日経エンタテインメント!』2011年10月号では、小室哲哉さんと対談が実現しました。
対談の中でパク・ジニョンさんは、中学生時代に小室さんが作曲を手がけた『My Revolution』を聞いていたことを語っています。
JYPパクジニョン(餅ゴリ)は日本語うますぎる

2020年2月7日にJPYエンターテインメントとソニー・ミュージックエンタテインメントがタッグを組み、新たなガールズグループを作る「Nizi Project(ニジプロジェクト)」を、合同記者会見が行われました。
その記者会見では、パク・ジニョンさんが自ら流暢な日本語でプロジェクトの全貌をプレゼンしました。

パク・ジニョンさんは、ご自身の素直な気持ちがきちんと伝わってほしいとの思いや、どれだけこのプロジェクトに情熱を持っているかを伝えたい一心で、日本語を集中的に習ったことを明かしています。
プロジェクトを成功させるために、日本語を習得するとは、さすがプロフェッショナルですね。
今後のパク・ジニョンさんの活躍に注目です。