恋多き女優として名を馳せてきた、女優・高岡早紀さん。
高岡早紀さんは3兄弟の真ん中で、兄と妹がいます。
お兄さんは高岡賢太郎さんという「爆サイ.com」を運営する広告会社「Aegate」の社長。
そして妹は、タレント兼元社長でバツ2の高岡由美子さん。
高岡早紀さんの兄弟や実家についてまとめました。
高岡早紀の兄・高岡賢太郎は爆サイ社長

高岡早紀さんの兄・高岡賢太郎さんは、インターネット掲示板「爆サイ.com」を運営する広告会社「Aegate」の社長です。

爆サイ.comは、インターネット掲示板、コミュニティの一つ。
2ちゃんねる(5ちぇんねる)などのインターネット掲示板よりも、地域密着型であり、県市町村版もあることが特徴。
また掲示板の利用者は、ナイト系(夜の水商売、キャバクラやホストなど)が多いことでも知られている。
高岡早紀さんの兄・高岡賢太郎さんは、架空の経費を計上する手口で、2年間でおよそ2億4,000万円の所得を隠し、法人税など5,900万円を脱税した疑いが持たれ、2020年2月20日に東京地検特捜部に逮捕されました。
Aegateの元関係者によると
- 沖縄で3億円の家を購入
- 新宿に家賃が月50〜60万ぐらいの家がある
- かなり良い生活してるのでは?
と明かされています。
高岡賢太郎さんは、任意の調べに対し、「取引は正しい」と容疑を否認しています。
高岡早紀の妹・高岡由美子はタレント兼元社長でバツ2

高岡早紀の妹はタレント兼元社長
高岡早紀さんの妹は、タレントと社長を務める高岡由美子さん。
高岡由美子さんは、20代からモデルとして芸能活動を始め、バラエティ番組にも出演していました。
2010年3月からは、フラワーアレンジメントレッスンを展開する株式会社「Partager & co.」の代表取締役として社長を務め、さらに高岡由美子さん本人がフラワーアレンジメントの講師をしていました。
現在は、公式ブログの更新も止まっており、会社の事業は止まっているようです。
高岡早紀の妹はバツ2

高岡早紀さんの妹・高岡由美子さんは2回の離婚を経験しているバツ2です。
女の子を2人出産しています。
- 2000年11月:鹿島アントラーズ(当時)の本田泰人と結婚
- 2002年XX月:第一子、女児出産
- 2009年11月:本田泰人と離婚
- 2011年12月:大阪のインテリア会社社長と結婚
- 2011年12月:第二子、女児出産。
- 2014年5月:インテリア会社社長と離婚。
高岡由美子さんの1回目の結婚相手は、当時Jリーグ・鹿島アントラーズで現サッカー解説者の本田泰人でした。

結婚当時は、夫婦でバラエティー番組に出演し、高岡由美子さんは鬼嫁ネタでブレークしました。
高岡由美子さんに浪費家としても知られており、本田泰人さんがクレジットカードの家族カードを与えたところ、約300万円もの請求書が来ることも。
本田泰人さんがカードを止めたら「最低」とのメールが届き、激怒されたことを明かしています。
さらに、2007年4月9日放送「ジャンクSPORTS!」に高岡由美子さんが出演した際には、本田泰人さんが引退したため、9割一緒に暮らさなければならないことに不満な様子で、「初めての同居で、イヤになる」「娘を学校に送った後が恐怖だ」と漏らしていました。
高岡由美子さんの2回目の結婚相手は、リビングハウス社長の北村甲介さん。

高岡由美子さんと北村さんは、婚約中に妊娠が発覚し、出産直前に結婚をしました。
しかし、高岡由美子は2012年9月、自身のブログに「財布と憧れ」とのタイトルで
「(旦那から)養育費や生活費を全くもらっていない!」
と愚痴のオンパレード。
さらに、2013年1月10日のブログには、「restart」というタイトルで、
「次女誕生から1年の間には、楽しい事ばかりではなく辛く悲しい出来事もありました。気持ちも新たに、私は娘2人と再出発する事を決めました。これは、明るい未来への新たな1歩です。」
と綴り、その約1年半後に、正式に離婚しました。
高岡由美子は現在ハワイ暮らし
高岡由美子さんは現在ハワイに移住しているようで、インスタグラムに「#海外暮らし」とのハッシュタグ付きで写真をアップしています。

高岡由美子さんのインスタグラムには、過去の娘の姿を振り返る写真も多くアップされています。


高岡早紀の実家はジャズのライブハウス

高岡早紀さんの実家は、横浜馬車道の老舗ジャズ・ライブハウス「横濱エアジン」を創設し、経営していました。
2018年5月6日放送『坂上&指原のつぶれない店』に高岡早紀さんが出演時には、父親が、ライブハウスを盛り上げるために海外から有名なジャズミュージシャンを度々招待し、ギャラや交通など莫大な費用がかかり、いつも赤字であったことを明かしています。
さらに、当時の母親の日記を見つけたら、「お金がない」「生活が苦しい」という言葉が並んでいたそうで、家計は火の車だったようです。