キンプリのセンターを務める平野紫耀さん。
平野紫耀さんの母親は、若い年齢で平野さんを出産し、離婚を経験。
若くしてシングルマザーとなったお母さんは働き詰めで、脳腫瘍になったことも明かしています。
また、母子家庭だったことで、貧乏でヤンチャな幼少期を送っていたことも告白。
そんな平野紫耀さんの母親について、驚きのエピソードを交えて紹介します。
平野紫耀の母親は脳腫瘍?

平野紫耀さんの母親は、平野さんが幼い頃に離婚をし、シングルマザーとして、平野さんと弟・莉久(りく)さんを女手一つで育てあげました。
一家を支えるために働き漬けの日々を過ごした結果、平野紫耀さんの母親は、脳腫瘍で患い、闘病生活を送ることになりました。

2016年12月に開かれた舞台『ジャニーズアイランド』では、平野紫耀さんの実話に基づいたセリフによって、お母さんが脳腫瘍を患っていることを明かしました。
「母さん俺が小さい時に両親が離婚しちゃって、夜遅くまで働いたから病気になっちゃって。
俺が上京する時に母さんの脳に悪性の腫瘍が見つかった。
俺さ、母さんが手術するとき 舞台で踊ってたんだよ。付き添ってやることもできなかったんだよ。
俺が成長することが舞台に立つことが母さん一番喜ぶんだ。」
このセリフを言い終えた平野紫耀さんは、舞台上で涙を流していたそうです。
翌日のスポーツ紙で、実際に平野紫耀さんの母親が悪性腫瘍によって闘病中であることが報じられました。

高校を卒業時というと、平野紫耀さんが東京へ上京をする前。
上京直前に母の病気が判明した平野紫耀さんは、母親の治療費を稼ぐために東京での活動を頑張っていたようです。
平野紫耀さんも幼い頃に難病といわれる川崎病を患っており、現在もなお激しい運動は禁止されているとのこと。
ご自身も生死を左右する大病に見舞われた過去があることから、母親を助けたい思いが強かったに違いありません。
平野紫耀の母親の年齢は?
平野紫耀さんが『メレンゲの気持ち』(2018年11月放送)に出演した際には
- 母親の年齢は、40歳
- 祖母の年齢は、66歳
と話しました。お母さんもおばあちゃんも若いですね。


平野紫耀さんの生年月日は、1997年1月29日で、2018年当時は21歳だったため、逆算するとお母さんは19歳で平野紫耀さんを出産していることになります。
お母さんとショッピングモールで買い物をしていると、「平野紫耀がショッピングモールに彼女と出歩いてる」と、彼女と間違われてSNSに投稿されてしまったこともあるそうです。

さらに『メレンゲの気持ち』放送の2ヶ月前には、平野紫耀さんは『踊るさんま御殿』(2018年9月放送)に出演。
その際、母親の年齢を聞かれると、パニックになった平野紫耀さんが「僕、40歳です!」と天然回答をし、「あ、僕じゃない、お母さん!」と言い直し、周囲の笑いを誘いました。
そうですね、お母さんより上です、、ぼく40歳です(ㅍ_ㅍ)
— やかん (@shoyupi___xo) September 4, 2018
爆発発言連発しちゃう平野紫耀😂😂#キンプリ #平野紫耀 #さんま御殿 pic.twitter.com/gjiB5HZZ45
しかし、「まいどジャ~ニ~」(2013年放送)では、母親の年齢について「33歳」と発言していました。
逆算すると、お母さんが平野紫耀さんを出産した年齢は、17歳ということになります。
2018年のテレビ出演時に、「お母さんの年齢が40歳であること」を2度話していることから、母親が19歳のときに、平野紫耀さんが誕生したことで間違いないでしょう。
天然で有名な平野紫耀さんですが、2013年当時は、お母さんの年齢を誤って覚えていた可能性が高いです。
平野紫耀の母親の仕事は?

平野紫耀さんは、『RIDE ON TIME』(2018年10月放送)出演時には、母親が女手一つで平野紫耀さんと弟さんを育てたことを語り、「小さい頃に母親が仕事漬けで体を壊した」と告白。
平野紫耀さんは、母親の仕事内容については具体的に明かしていません。
しかし、19歳で出産し、平野紫耀さんが幼い頃にシングルマザーになって、若くして一家の大黒柱なることを考えると、朝から晩までみっちり働いていたのでしょう。
平野紫耀さんはそんな母親の背中を見ていたからか、『RIDE ON TIME』では、「去年(2017年)アイドルを辞めて自衛隊に行くつもりだった」と話しています。
もともと、人を守ることが好きだった平野紫耀さんは、社会科見学で見た陸上自衛隊の姿に憧れを抱いていたそうです。
そして、CMの契約期間が切れたジャニーズ事務所を辞めて、自衛隊に入ろうと思い、その気持ちを事務所にも伝えていたそうです。

しかし、
「(被災者の方を)身体的な面で助けるあげることはできないけど、テレビを見たり雑誌を見たりコンサートとか見たりして、また明日から頑張ろうって精神面で助けてあげることはできるよ」
と事務所の方が言ってくれた言葉が心に刺さり、アイドルとして頑張ることを決意したそうです。

平野紫耀さんは、ライブの最後にファンに向かって「死ぬなよ〜」と呼びかけています。
お母さんの脳腫瘍による闘病経験や、平野さんの周りで亡くなる人がいたこと、そして自身も病気と戦ってきたことから、自分にちょっとでも関わった人には「生きてほしい!」との思いから、呼びかけているようです。
【10/5 RIDE ON TIME 第1回】
— ♥︎︎めろん♥︎︎ (@repo_kpkp) October 5, 2018
去年仕事を辞めるつもりだったとの告白。そしてコンサートの最後に「死ぬなよ」を言い続けている理由。#rideontime #キンプリ #平野紫耀 pic.twitter.com/rV8DuirzQP
平野紫耀の母子家庭で貧乏だった?
平野紫耀さん一家は、母子家庭で貧乏だったようです。
壮絶な母子家庭エピソードについてまとめました。
平野紫耀の母子家庭エピソード①幼少期は破天荒

平野紫耀さんは破天荒な幼少期を送っていました。
幼稚園時代には、1円玉や5円玉など小銭を食べてしまっていたこともあったそうです。
雑誌の取材では、幼稚園時代にお金を食べて病院に運ばれ、「よく落ちてるものを食べちゃうコで。胃の中から1円玉が5枚ぐらい出ていた」と驚きのエピソードを明かしています。

さらに、幼稚園時代には、怪我を恐れずに岩の上から川にダイブするなど、ヤンチャな男の子だったようで、足首を骨折することも。
また怪我するだけに止まらず、お友達の足を振り回すなど乱暴をして、先生に怒られていたこともあったそうです。

そんなヤンチャな幼少期を過ごした平野紫耀さんは、幼いながらに骨折を7回も経験することに。
右足にギプスをはめている幼い頃の写真を公開しています。
平野紫耀の母子家庭エピソード②クリスマスプレゼントはうまい棒
平野紫耀さんが小学6年生の時に、サンタさんに手紙で「ネックレスが欲しい」とクリスマスプレゼントのお願いしましたが、願い叶わず、図書カードをもらいました。

翌年、中学1年生になった平野紫耀さんは、もう一度アクセサリーのお願いをしたところ、なんとうまい棒が50本置かれていたとのこと。
うまい棒は、1本10円なので、50本で500円というだいぶ安上がりなプレゼント。

母子家庭であることから、アクセサリーのプレゼントは経済的に厳しかったのかもしれませんね。
うまい棒50本は、質ではなく量で勝負した、お母さんなりの優しさが詰まったプレゼントですね。
平野紫耀の母子家庭エピソード③母親の代わりに料理を担当
平野紫耀さんは、忙しい上に体調を壊しやすかった母親に代わり、家事をすることが当たり前の生活をしていたそうです。
家事の中でも料理をすることが好きで、得意料理は回鍋肉(ホイコーロー)。

平野紫耀さんが主演を務めた映画『honey』の舞台挨拶では、「冷蔵庫に材料があれば作りますよ。得意なのは回鍋肉。タレも一から合わせて炒めます」と話しました。
また、メンバ-に手料理を振る舞うこともあり、高橋海人さんがよく家に遊びに来ることもあるそう。
「人って本当においしいものを食べる時に無言になりますが、(高橋も回鍋肉を食べる時は)無言でした」と、ほのぼのエピソードを披露。


またヒルナンデスに出演時にも、料理する姿を披露。
平野紫耀さんの慣れた手つきに萌えるファンはたくさんいたようです。
料理が得意な平野紫耀さんとは対照的に、お母さんは料理が苦手だったそうです。
学生時代のお弁当は「しなしなの唐揚げ」と「べちょべちょの白米」が入っていたとのこと。


しかし、そんなしなしな&ベチョベチのお弁当が「大好きだった」と話す平野紫耀さん。
平野紫耀さんにとっては、お母さんの愛情が詰まったお弁当が何よりも美味しかったのでしょう。
平野紫耀の母子家庭エピソード④グレてヤンキーに

幼少期に暴れん坊でヤンチャだった平野紫耀さんですが、中学時代には、ヤンキー風な風貌へ変化してしまいます。
卒業式には、紫の学ランを着てポーズ(写真中央)
お友達もヤンチャ感が出ていますね。
卒業式のために短ランと呼ばれる、丈の短い上着を自分で用意したようです。

平野紫耀さんは、中学校3年生のときに、銀髪にしたエピソードも明かしています。
「7回ブリーチして、シルバーを3回入れた」とのことで、なかなか目立つ存在だったに違いありませんね。
平野紫耀の母子家庭エピソード⑤母の教えは礼儀と女の子を守ること

平野紫耀さんのお母さんはとっても厳しく怖い人だったそうですが、「勉強をしろ」とは言われたことはありませんでした。
しかし、「礼儀と女の子を守りなさい」ということは口すっぱく言われ、厳しく育てられました。
そのため、小学校時代は、ドッジボールではひたすら女の子を守っていたとのこと。平野紫耀さんの優しさの原点は、ここにあったのですね。
また、テレビ番組に出演する際には、深々お辞儀する姿が印象的な平野紫耀さん。


お母さんから、礼儀を教え込まれたことによって、今の平野紫耀さんのスタイルができたのかもしれません。

インタビュー記事では、
- いつも怒られてコテンパンにされていた
- 今は厳しかったことがありがたいと思っている
- 大人になったら算数より礼儀が大事な場面が多いで
と、母の教育への感謝を語っています。
平野紫耀の母子家庭エピソード⑥家計を助けるためにアイドル活動
平野紫耀さんは、幼い頃に地元の名古屋のモデル事務所に入り、芸能活動を開始しました。
ジャニーズ事務所に入る前には、名古屋のご当地アイドルのボイメンこと「BOYS AND MEN」で活躍していました。

平野紫耀さんは、2012年2月16歳のときに、ジャニーズ事務所に入所しました。
ジャニーズ事務所には、母子家庭で育ったジュニアが多く所属しています。
滝沢秀明さんや、城島茂さん、松岡昌宏さんなど、ジャニーズを引っ張るメンバーも母子家庭。
毎日働き漬けのお母さんを助けたいとの思いが強くなったのかもしれませんね。
平野紫耀の母親はヤンキーだった?
平野紫耀さんは、『今夜くらべてみました』(2018年11月放送)に出演時に、母親がヤンキーだったことを明かしました。

平野紫耀さんのお母さんは怒るとかなり怖いようで、掃除機を武器にして殴られたこともあったそう。
さらに、お母さんが紫色が好きであることから、紫という漢字が入った「紫耀(しょう)」と名前をつけてもらいました。
平野紫耀さん自身も、紫色が一番好きな色だと明かしています。

『今夜くらべてみました』出演時に名前の由来を話すと、同じくゲスト出演していた佐藤仁美さんに「ママ、ヤンキー?」と尋ねられ、
「ママ、ヤンキーでした」と回答。
「紫耀(しょう)」という当て字の名前も、好きな色が紫というのも、ヤンキー感を感じますね。
ちなみに、お母さんのことを「ママ」と呼ばないと怒られるため、成人して大人になった現在も、「ママ」と呼び続けているそうです。

平野紫耀の母親は再婚した?
平野紫耀さんは、シングルマザーのお母さんの元で育ちましたが、現在は再婚していると言われています。
平野紫耀さんが『行列のできる法律相談所』(2018年10月20日放送)に出演した際に、「お父さん何歳?」と質問され、「にじゅう…間違えた40代です!」と、天然を混ぜながらも回答したことから、再婚説が濃厚だと言われるようになりました。

2018年の「ジャニーズ Happy New Year アイランド」には、平野紫耀さんのお父さんとお母さんが来ていたと話題になりました。
雑誌のインタビュー記事でも、キンプリの高橋海人さんが「紫耀のパパとママも“頑張れ”って言ってくれたよね」と発言しています。

また、平野紫耀さんが名古屋でスーツ姿でいるところが目撃され、その後、キンプリの永瀬廉さんが「最近結婚式で泣いた」と話していたことから、平野紫耀さんのお母さんの結婚式だのではないかと言われています。
